旧・福江教会史  (1976年)

 
 

福江小教区出身司祭・修道士・修道女

ミカエル 峰  徳美  長崎教区司祭

         父母 惣次郎 キクエ

 

     浜口 春己  トラピスト修道士

         父母 松右衛門、ヨネ

 

マリア 木口 マツ   お告げのマリア修道院

         父母 善吉、キワ

 

マリア 木口 マツエ  お告げのマリア修道会

         父母 政吉、ミツ

 

テレジア 越山 フヂ  お告げのマリア修道会

         父母 甚蔵、ミヨ

 

エリザベット 浜崎ツヨ子 お告げのマリア修道会

         父母 留吉、ヨシ

 

テレジア 梅木 公子  お告げのマリア修道会

         父母 国一、ツル子

 

マリア 川端 睦    お告げのマリア修道会

         父母 清太、ハツミ

 

川端 シゲ   トラピスト

     父母 武八、キサ

 

エリザベット 大川 和子 伊丹 ドミニコ会

         父母 政右衛門、ソメ

 

アガタ 岩下美代子   純心聖母会

         父母 長吉、チノ

 
 

 

総代(顧問)について

大正4・5年の頃

 脇田師の時代で、信徒の戸数も7戸位で、総代は1名であったようである。

  浦 兵右衛門

 

大正13・4年の頃

 出口師の時代で2名であったようである。

  浦 兵右衛門、大川 福十

 

昭和6・7年の頃

 出口師の末期から田川師の初期の時代で、信徒の戸数は60戸余りのようである。

畠頭忠右衛門、木口 善吉、西村吉松

 

昭和13・4年の頃

 田川師の末期から中島師の時代でこの頃から4名になったようである。

畠頭忠右衛門、本村清吉、中尾岩吉、中村喜蔵

 

昭和17・8年頃

 浜田師の時代

  木口善吉、江口利喜三、川端政吉、樽角好松

 

昭和19・20年の頃

 今村悦夫師の時代

  田上清蔵、本村清吉、川口新三郎、川端政吉

 

昭和21・2年の頃

 今村留市師が久賀教会から巡回されていた頃から、古川重吉師の時代

  木口政吉、樽角好松、中尾岩吉、浦善吉

 

昭和23・4年の頃

 松下師の初期の頃で、信徒の戸数の少しずつ増していったようである。

  木口政吉、宇田繁造、浜口長吉、杉山安太郎

 

昭和27・8年の頃

  木口政吉、浜口長吉、杉山安太郎、浦兵一郎

 

昭和35・6年頃

 松下師の時代で信徒の戸数は85戸から90戸位のようであった。

  木口政吉、杉山安太郎、浦兵一郎、出口岩記

 

昭和40年前後

 松下師の末期にあたる。

  木口政吉、杉山安太郎、出口岩記、岩下長吉

 

昭和45年

 岩永静夫師の時代である。

  杉山安太郎、西里幸盛、田中久幸、鍋内千里

 

昭和45年10月

 杉山氏の引退に伴い、木口善人氏就任

  西里幸盛、田中久幸、鍋内千里、木口善人

 

昭和47年鍋内氏の移転に伴い、浦兵一郎氏就任

  西里幸盛、田中久幸、木口善人、浦兵一郎

岩永師の時代で昭和51年の今日に至る。

 

注 記録がなく、すべてを古老の記憶に頼ってのことで、その上各人の話も一致しないことが多く、したがって必ずしも正確でないことも容赦して欲しい。

次の「教え方」のことについても同様である。

 
 

教え方について

 注「教え方」の重要性についてはいまさら述べるまでもなく教会としては十分配慮されていた。ただ総代の項の注に記したように古老の記憶によるもので誰がいつの時代であったかについては時代がさかのぼるにしたがってわからないので必ずしも明確でないことを容赦した欲しい。

 

女性の教え方

○シゲ(姓不詳)

○梅木イサ

右の2姉、脇田師時代の大正末期の教え方であった。

○浜口トミさん

 大正15年、伝道学校を卒業と同時に教え方となり昭和9年まで活躍された。

○峰トイさん

 浜口トミさんが引退された後、半年の空間があったが昭和9年10月頃から昭和13年頃まで教え方をしていられたようであるが明確でない。田川師の時代である。

  ○出口マツさん

 昭和15年から21年までの終戦前後の混乱時代、司祭も中島師、浜田師、今村悦夫師、今村留市師の久賀教会からの巡回であった頃活躍された。

  ○浜崎マツさん

 出口マツさんの後を受けて昭和22年から24年まで、松下師着任の当座まで終戦直後の困難な時代を活躍された。

  ○梅木ツル子さん

 浜崎マツさんの後24年から44年まで20年間の長きにわたって、松下師のもとで子どものことは勿論、婦人会の指導にも力を注がれた。

  ○浜口ナツさん

 梅木ツル子さんの引退後44年から活躍された。温厚な人柄によって整然と子どもたちを掌握された。49年修道院長就任により、馬込トシエさんにバトンが渡された。岩永静夫、薫両氏の時代

  ○馬込トシエさん

 昭和48年4月から浜口さんの後を引き継がれた。教え方陣も、ここでグッと若返り新進気鋭の間を深くして昭和51年の現在に至っている。

 

男性の教え方

 男性の教え方については就任の時代がよくわからない。ある時は男性の教え方1名であったようで、またある時代は、女性の教え方と2名で男女それぞれを受け持たれた時代もあったと言う。その組み合わせも定かでないために、ここでは、ただ時代の順に記すことにした。

  ○江村寅吉氏

 脇田師在住の大正7・8年頃のようである。

  ○浦善吉氏

 昭和15・6年の頃のようであるが、定かでない。

○木口嘉一氏

 2年位教え方をしていられたとのことであるが年代は定かでない。

  ○樽角好松氏

  ○樽角 清氏

 兄弟であるが、清氏が梅木ツル子さんの初めの頃(昭和24年頃)一緒に教え方をしていられたので、好松氏は、その前、19・20年頃と思われる。

 

 樽角清氏が24・5年頃引退された後は男性の教え方はいない。


  
   
inserted by FC2 system