第13代 浜崎渡師

 

こころ、平成2年1月1日

聖書講座(5)―結 婚― 浜崎 渡師

1、結婚(婚姻)の起源

 人間の始祖(人祖)が、神に似せて創造されたことは旧約聖書の創世記(126)に明らかです。然しエデンの園(楽園」におかれたアダムは、まだ一人身(独身)でした。

エデンの園を耕し、これを守るように命じられた神は、すてに創造しておられた鳥獣や草木をも支配する権利を、人祖に付与されましたが、人祖は、自分に合う助手というか、協力者というか、そのような者を見出すことはできませんでした。(2・20)、主なる神はこれを見て、『人か独りでいるのはよくない、彼に合う助けるものを造ろう』(21821)と仰せられ、アダムを深い眠りに誘い、彼のあばら骨の一部を抜き取り、それで女をつくられたのでした(222)。眠りからさめたアダムは、かたわらに立つに女を見て『これこそわたしの骨の骨、肉の肉、男から取られたものだから女と呼ぼう』ということになったのですが、『男は父母をはなれて女と結ばれ、二人は一体となるべきである』(224)との、神のみ旨により、アダムとエワは夫婦となり、相互の一生の伴侶となり配偶者となり、生涯の協力者となったのであります。同時にこのことは、生命の源におわします神の本質的みわざの協力者として、人間は創造され、神の恵みの豊かさの証人としてたてられたことを意味するものであります。

2、結婚の目的

教会法旧法によれば第1の目的は、子女の出産と教育。第2の目的は、夫婦相互の扶助と、情欲の制禦と明記されたものでした。教会法新法によれば、旧法の如き、第1、第2目的といった序列的見方をさけ、目的について直接、『生活全体に及ぶべき、夫婦の親密な共同体』として、定義しています。換言すれば、結婚は子女の出産を目的として、夫婦のまじわりを行う権利を相互に与え合うためにのみするのではありません。なによりもまず、二人がむつましく生活しながら、相互の協力を通して、愛の共同体を建設していくことにより、夫婦の善、すなわち、お互いの人格形成と、救いの幸せをめざして、なされるものです。子女の出産は、こうした夫婦の相互の、親密で、排他的な愛の実りである

のです(聖会法10551

3、結婚の秘跡

 教合法新法においては、旧法に見られなかった『婚姻の誓約』という表現を用いていますが、これは婚姻が、単なる自然的、また、法的契約にとどまることなく、神の制定に基づく制度であり、神のみ前で交わされる神聖な誓約であると、いっています。

 さらに、洗礼によって、主キリストに合体された信者同士の有効な結婚は、そのまま秘跡に高められることを教えているものです。(1055S1S2

 実に、受洗者同士の結婚(夫婦愛、家庭)は自らの生命を役げ出して教会を建て、絶えず愛し守り続けられる主キリストが、教会に対しもち続けられる誠実な愛の写しとなるという使命を、与えており、この使命に必要な恵みを伴う秘跡が結婚の秘跡というわけです。秘跡のゆえに、結婚の絆の不解消性と単一性(一夫一婦制)は、とくべつに堅固にされるのであります。

こころ、平成2520

復活節を迎えて思う 主任司祭 浜崎 渡

1、永遠の生命を目指すこと

『上にあるものに心を向け、上にあるものを求めなさい」(コロサイ312

 地上に生活し、此世の生命を営むものが、地上のことをおもんばかり、現世の生活の安定のために心を砕くのは、当然の傾向であり、自然の法則に合致することであります。

にもかかわらず、地上のことのみに、一切を投ずるのは、神の聖旨ではなく、また人間本来の目的を達成する、最重要な道でもありません。なぜならば、人間の肉体的生命が限りあるものであっても霊の生命は限りなく、神の似姿として創造されたからには、人はこの世に死したのち、終わりなき生命、とこしえの幸福を目指さなければならないからであります。

 思うに私共人間は、個々の生存の意義や、個々の人生の使命を、若い時から確実に認識していなければなりませんが、さらに家庭人、社会人、教会共同体の肢体という、共通的立場においても、それぞれの責任を自覚し、負荷されたその任務を全うすると共に、これを遺産として、子孫や後輩に伝えなければなりません。

このようにして、家庭にあっては、ありかたい祖先、社会にあっては、偉大な恩人、教会にあっては、信仰の先達として敬慕され、感謝の的と仰がれて、時には文書に記録され、時には石碑に刻まれ、その名と業績が末永く祈念されるものであります。これをもってみるに、人間は一時の働き、短い時の間の喜びに一生を賭けているのではなく、己れのみならず、他の人々も、ひとしく、永遠不滅の精神界、現世をはるかに超越する無限の生命の世界の存在することを、否定するのではなく、むしろ積極的に肯定していることを実証するものであります。

 加えて、栄枯盛衰は世のならい、有為転変の繰り返しにすぎない浮世の生活の、たのみがたきを知って、これより逃れ、今日あるも明日の命の測り知れぬ、そのはかなさを超越せんことを願って隠遁の生活に身を沈め、出離の道に奥深く入り行き、生死、苦楽の迷夢から解放されて、神仏の御意に一切をまかす人々の、昔も今も変わることなく存在する事実は、何人もこれを無視することは出来ますまい。

然してこのことは、此世に死ぬのは未来に生きんため、また、永遠の生命に活きんためには、浮世の命を捨てる、という厳然たる理由に基づくものであって、他意はないのであります。主キリストも仰せられました。『わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架をになって、わたしに従いなさい。自分の命を救おうと望む者は、それを失い、わたしのために命を失者は、それを得る」 (マタイ162425)と。

 ここに至って私共は、使徒聖パウロが、『上にあるものに心を向け、上にあるものを求めなさい』と、切実に訴える所以が真実であり、人となって此世に降り、十字架とその死を受けて世を贖い、復活と昇天によって、人類に希望と栄光を約束された主キリストの思召しが、いかに聖にして確かなものであるかを知って、喜びにあふれ、感謝に堪えないものであります。

2、キリストと共に死し

  キリストと共に活き、キリストと共に支配すること(2テチテ21112

 これは聖パウロの信仰の理念に外なりませんが、主キリストのために、己が命をささげることを常に覚悟してのことであります。『我を愛し、我がために、御自分を死にわたして下さった』(ガラテア2・1920)主キリストに、『我もまた、主のために命をささげる』というわけなのであります。

 主と共に活きるには、主の聖旨に従って万事を行う以外にその方法はありません。『主の祈り』の精神に忠実に生きるよう、万全の力を尽くしましょう。斯くて生涯を賭けて、主と共に歩む者は、また主と共に永遠の生命に生きるのであります。

こころ、平成2812

旅について 主任司祭 浜崎 渡

1、長崎旅博覧会‘90

 長崎県は、本年83日から、114日までの、94日間、長崎旅博覧会を開催し、長崎市を中心とする県下の各地において、一大イベント(出来事、催し物)を展開し、長崎の紹介や宣伝につとめることを、企画し、検討し、準備してまいりました。

 古来、長崎といえば、南蛮、オランダ、中国との貿易を行い、異国情緒の漂う、港町の感じが深いのですが、あわせて、キリシタンの信仰に培われた、文化、教養の香りも高く、さらに殉教の栄先に輝く町とたたえられているものであります。

 思うに、わたしたちの人生は、旅であり、天国をめざす永遠の旅路に外なりません。

 「奥の細道」において、松尾芭蕉は、「月日は永遠にとどまることのない旅を続ける旅客であり、来ては去り、去っては来る年も、また同じく旅人である」と述回していますが、観光の旅をする人であれ、研修の目的をもって、あちこ

ちに出かけるに人であれ、人生の旅路における一駒一駒を、消化している姿にかわりなく、長崎旅博も、長崎に、あるいは観光、あるいは巡礼の杖を曳く人々に、長崎での思い出を、是非心にきざみ、これからの人生の旅路の糧にしてほしいとの願いをこめて、声を大にして、県内外の多勢の人を招いているものであります。

2、キリシタンの旅の歴史

 古来「歴史は教訓であり、教師である」といわれます。政冶、外交の歴史であれ、戦争、弾圧の歴史であれ、宗教、芸術の歴史であれ、栄光と悲哀の両面をいろどるものであります。我が郷土長崎の町の歴史にも、南蛮貿易のための開港以来、繁栄をきわめ、キリシタンの信仰に生きる喜びにあふれる人々の群れ、日ましにふえる栄光の日もあったのですが、徳川幕府の政策に基づく、キリシタンの禁制と鎖国令によって、外国との貿易はとだえ(出島における、オランダとの通商のみは許されました。オランダは、キリシタンの国ではありません。ポルトガルに代わって、日本との貿易を続けたために、長崎もまだオランダ系統色を強めることになりました)、同時にきびしい、キリシタン探索の長き歴史も、はじまることになりまた。信仰を死守して永遠の生命に生きるか、信仰を捨てて短い浮世の生命に留まるか、二者択一を迫られるキリシタンたちの苦悩は、察するに余りあるものです。捕らえられ、厳しい拷問にかけられて、なお且つ殉教をとげた人々があり、信仰を捨てるわけではないが、表面上、キリシタンにあらざるごとくにふるまい、ひそかな地下組織のもとに、信仰を守り通したいわゆる『かくれ』の集団もありました。

 徳川幕府政権下においては、キリシタンの信仰に生きるために、自らと一族の地位を捨てて、国外追放の流浪の旅に終始した人々も少なくありません。高山右近や内藤如安などはその最たるものというべきであります。

3、五島キリシタンの旅

 五島のキリシタンは、1566年から67年にかけて、領主宇久純定の許可により、宣教師アルメイダ、日本人修道士ロレンソらの活躍で、信者となったものがかなりいたのですが、第20代玄雅の背教後、迫害がおこり、五島最初の教会は破壊してしまいました。

 1797年(寛政9年)五島藩士、盛運は大村藩主に、農民の移住を願いました。とくにキリシタンたちは喜びいさんで、五島の住民となりたいと申し出ました。3回にわたって三千人の信者が、五島各地に住みつき、開懇につとめました。しかし教会を建てることはできませんし、公的信仰表明を行うことは許されません。『かくれキリシタン』の生活が続きました。明治維新が近づいた時に、最後の迫害がおこり、五島キリシタンの旅がまたはじまるのですが、苦難の旅路は天国への旅路と覚悟して、幾多の試練に堪えぬいた五島キリシタンたちは、わたしたちの誇りとする信仰の親たちであります。

こころ、平成3年1月1日

新春を寿ぐ 主任司祭 浜崎 渡

1、感謝と決意

 福江小教区区の信徒の皆様!明けましておめでとうございます。旧年中は、経済評議会委員、信徒使徒職評議会委員の方々をはじめ、信徒の皆様、お告げのマリア修道会シスター皆様、聖マリア病院、聖マリアの園の職員、従業員の皆様より、数えもあえぬ御奉仕、御協力、御厚情をかたじけなく、感謝に堪えません。

 皆様の絶大なるお力添えによりまして、福江カトリック教会は、神の聖旨に副う維持、運営を行うことができました。これもひとえに、いつくしみ深い主キリストの愛、聖霊の御導き、聖はマリアの御助けに信頼して、あくまで一致団結を守り、キリスト信者の使命達成につとめた結果であると、信じて疑いません。

このことをしかと踏まえて、新しいこの1年もまた、相互信頼、愛の絆に支えられ、神のみ国の建設をめざして、前進いたしましょう、かくしてこそ、時代の要求である福音宣教のみのりも、開かれた教会づくりの意向も、徐々に発揮されるのではないかと思います。

2、過去一年の回顧

過ぎ去った1年には、浮き世の縮図さながらに、さまざまな出来事があり、悲喜こもごもの感懐に迫られるものがあります。お年を召された里脇枢機卿様の教区長御引退があり、すでに75才の定年を迎えられた司祭の中に、或いは病気、あるいはけがのために、苦境に立たされながらも、なおかつ涙ぐましい司牧にあたられる方々がありました。

 わが福江小教区内では15名の兄弟姉妹が永眠し、私共の尽きせぬ哀悼のうちに、天国への旅路につかれました。その他、病苦に悩まされながら、ほとんど1年を病院で過ごされた方も多く見られました。苦しみ、悲しみ、つらさ、切なさなどを、私共は十字架と呼び、永遠の栄光につなぐ大切な条件として、これを尊重して忍耐強くささげるものでありますが、弱い人間の常として、時には、苦悩、悲痛を不幸そのものとして受けとめ、神も仏もないものの如く人を恨み、世をはかなく思うことにこだわり過ぎる傾向がないとは言えません。

 人開にとって不可能なことも、神の聖旨に従い、万事をおまかせすることによって、苦しみを永遠の功徳にすることが可能であり、十字架の勝利、即ち罪に勝ち、世に勝ち、浮世を超越する喜びを、信仰によって獲得しなければならぬものであります。

 一方、喜びに堪えないお恵みをいただいたことも数えきれないほどであります。

 319日、聖ヨゼフの祝日には、松永補佐司教様による叙階式が挙行され、5名の新司祭と2名の助祭が誕生いたしましたが、わが福江教会出身の鍋内正志師が助祭にあげられ、今年3月、司祭に叙階される運びとなりました。

 5月上旬には島本大司教様の着座式が盛大に挙行され、長崎教区第8代目の教区長として、歴史あり、伝統あるわが長崎大司教区の最高司牧者の任務につかれました。

 その他、里脇枢機卿様にとりましては最後の大事業となった教区立、長崎神学院の建設、落成が1月上旬に実現し、司祭養成の上で重要な基幹となる教育施設か整備されたことは、長崎神学校125年の歴史に特筆大書すべきことがらであるとともに、幾久しい将来に向けて、ますますの充実、発展が期待される一大イベントでありました。

 昨秋9月下旬、病気療養中の島本大司教に代わって、松永司教様が、福江にお出でになり、堅信の秘蹟を40名の信者に授けてくださったことも忘れられない思い出であります。松永司教様は、1028日付をもってローマ教皇ヨハネ・パウロ二世によって、福岡教区長に任命され、1227日、長崎教区司祭および、補佐司教として、30有余年の見事な働きをなさって福岡に赴かれました。本年115日、輝かしい福岡司教区第5代目の教区長の座につかれることになりました。

 さらに、修道女会においては、お告げのマリア修道会をはじめ、純心聖母会、聖母の騎士修道女会、カリタス修道女会において、福江出身のシスターを含め、大勢のシスターが、終身誓願によるキリストの浄配として、うるわしく、清らかに召し出されました。

3、希望と喜びのうちに

 み民われ、生けるしるしあり天地の栄ゆる時にあえらく思えば(小野のおゆ)神の恵みのしるしのうちに、よき1年を送り、よき1年を迎えましたことを、身に余るしあわせと思いましょう。心をこめ、力を尽くして、信仰を守り、主キリストの遺産である教会の発展のために、さらなる一致団結をかためて、維持、運営に参加いたしましょう。おたがいの家庭の幸福を祈り、福江市民各位の平安を念じましょう。粗辞をつらね、恐縮に存じますが、念頭の挨拶といたします。

こころ、平成3年5月19

新司祭の誕生を寿ぐ 主任司祭浜崎 渡

 平成3319日、浦上司教座聖堂で、長崎教区長島本大司教により、福江小教区出身パウロ鍋内正志師は、飽之浦小教区出身ヨハネ山村憲一師と共に、司祭職にあげられました、わが福江小教区におきましては、一昨年の福島、木口両師、昨年の大川師に次ぐ慶事でありまして、まことに喜ばしい限りであります。

 申すまでもなく、現代社会は、高齢化の波が高まり、その広がりもまた大きくなってまいりました。

 御多分に漏れず、司祭、修道者の世界にも、老齢化の現象を否むことはできません。明日の家庭はもとより、将来の世界や社会を担って、その発展に寄与、貢献する若い人材を育成できぬとあれば、将来はまことに不安の極みともうさねばなりません。若い人々の不足するその最大の原因は各家庭における子女の出生率が、いちじるしく低下していることに外なりません。かかる時の新進気鋭、前途有為の若い司祭の誕生こそは、教会の将来を明るく築き、力強き福音宣教や司牧の成果をもたらす原動力となるものであります。

 かつて、主は仰せられました。「刈り入れは多いが、働く人は少ない。だから刈り入れのために働く人を送ってくださるよう、刈り入れの主に祈りなさい」。(マタイ937、ルカ10・2)と、けだし、あらゆる事業をはじめるには、またそれを維持経営するためには、多額の資金を必要としますが、その前に働く人員を確保すること、前途有望な若者を育成することが、肝要であります。わが長崎教区のみに、その功を帰すわけではありませんが、伝統久しい長崎神学院は、1865年(今去ること126年)のキリスト信者発見の頃から、司祭養成のためにと、構想を練り、迫害での苦しい条件を覚悟しての創立となったものであります。

 豊臣、徳川時代はもとより、明治新政府になっても、キリシタン弾圧は続きました しかし、どんな苦境にたたされても、信仰を誰々しく守り通したキリシタンたちは、命がけで、宣教につとめるパリー・ミッション会の司教、司祭たちに信頼し、貧困な家庭生活の立て直しを後まわしにして、多くの子弟を、神学校にささげたのであります。明治6年(1873)禁教令撤廃によって、一応 信仰の自由は保障されることになり、神学生養成は軌道に乗るかに見えましたが、世界第二次大戦の勃発によって、日本人のみならず外国宣教師、神学生が兵役に服して、あるいは陣没し、あるいは負傷して、司祭職を断念するに至った人は少なくありません。戦後40年、物資欠乏をなげいた時代は去りました。少なくとも日本は平和の時を味わっています。それなのに、神のみ国の建設のため、カトリックの教勢発展のため、生涯を主と教会にささげる人材が不足する事態に傾きつつあることは、まことに憂慮に耐えない次第です。

多くの子女を産み育て、信仰熱心な子供たちを、神学校や修道会におくるために、今少し奮発せねばならぬことは、各家庭における重大なつとめであると認識いたしましょう。

こころ、平成3年7月28

 助任司祭の送迎 主任司祭浜崎 渡

3年余に及ぶ任務を終えて、ペトロ川内和則師は、西彼杵半島の突端(半島の尽きる処)を左に見る西海橋と相対して、同じく半島を右に見る大島町の、太田尾小教区(太田尾、間瀬の2教会)に、第8代の主任司祭として、615日に赴任されました。代わって同日、長崎神学院より、ドミニコ鳥瀬文武師が、わが福江教会の第6代の助任司祭として赴(着)任されました。「別れることはつらいけど、しかたがないんだ君のため」と歌にもある通り、川内師との別れは、まことに名残り惜しいことでしたが、主任司祭にふさわしい熱心な信仰、堅固な道徳、心豊かな教会的学識、高尚な識見、司牧経験に富む牧者資格者として、教区長、大司教様より認定されたのですから、大きな喜びと拍手をもって、お送り申すのが当然なことでした。今後の健康と御活躍をひたすらお祈りいたしましょう。

  一方、5年前の3月、司祭位にあげられました鳥瀬師は大神学院卒業、叙階と同時に、長崎公教神学校(現在の長崎カトリック神学院)に赴任し、院長小島師と共に、日夜起居を共にされ、神学生の信心、学業、体育向上のため、粉骨砕身の明け暮れに余念なくいそしまれました。

 けだし、「処かわれば品変わる」のたとえの如く、神学院と教会とでは、その雰囲気も、その勤務の内容も、大いに異なりますが、若い情熱を燃やし、小中学生、高校生、青年諸君のよき指導者、よき相談役として、奉仕してくださることでしょう。心から期待申しあげますと共に、その御活躍を心を合わせて、お祈りいたしましょう。

 ついでながら、井持浦小教区の最近の状況を申し述べましょう。

 昨年7月末から11月までと、今年4月末から7月半ばまでの、足かけ2年間のうち、9ヶ月、非持浦、玉之浦の2つの教会の主任畑中師が、輪禍と病気のため、入院加療を続けられました。大司教様の御要請により、福江教会より土、日曜の御ミサをはじめ、病人見舞い、葬儀、洗礼、告白のつとめ、教会事務の補足の義務をはたすべく、二人の司祭が交替で、毎週出張してまいりましたが、713日、これまた新進気鋭の主任司祭が着任いたしますので、私共2人の協力、奉仕も、77日をもって終わりとなります。留守番の役目から解放される喜びもさることながら、井持浦小教区の信者皆様の喜びは、大きいものでしょう。同一地区の教会同志として、今後も、ますます協力一致して行きたいものと存じます。

こころ、平成3年1124

カトリック福江教会主任司祭浜崎

1、秋風索漠

 「月日は百代の過客]と、芭蕉が「奥の細道」で述回するように、11日の去り行く速さに、たた驚く外はありません。然も今年は春の長雨、秋の台風に悩まされた痛恨の1年であったと、大方の苦渋に価するものでありましょう。静かにおとずれるはずの実りの秋が、幾度もの烈しい暴風雨によって、四季の調和を狂わされたようなものでした。農作物、水産物をはじめ、家屋、船舶、森林、道路、河川の堤防などに、莫大な損害がもたらされました。加えて、雲仙普賢岳や、フィリピンのピナツゥボ山に代表されるような火山活動や、世界各地に発生した地震、洪水などによる自然の災害は、多数の人間や家蓄の生命を奪い、1991年の日本列島や世界の地理、環境史に悲痛きわまりない荒廃の痕跡を留めました。これらの災害を私共は、対岸の火災として無視することなく、助け合いの精神に目覚め、能う限り、救済の手を拡げることが肝要であります。

 思うに人類の歴史は、自然の脅威との戦いの連続と申しましても、あながち過言ではりませんが、さらに加えて、世界各地にあとをたたないクーデターや、戦乱による科学兵器の使用や、原戸力発電所の放射能もれの事故による生命の危機は、今や全世界挙って憂慮すべき事態となっています。いうまでもなく、我が家を焼き払い、己が家族の住処を破壊して、野末の露と消え果てることを志すものは、一人もいないはずであります。幸いにも核兵器の削減交渉をはじめ、その使用禁止、製造中止に向けての取り決めなどにつき、強大国間の幾度となき真剣な討議が重ねられる方向に進展していること、学者、研究員の大気汚染の浄化に対する必至の努力が続けられていることなどは、やがて21世紀を迎える現代人の、余りにも重々しい愁眉を開く鍵となることでしょう。地球という人類の「すみか」を、安全に保守せねばならぬことは、贅言を要しません。思うに、宇宙万物の創造主であられる神のみ旨を仰ぎ、いつくしみ深いそのみ摂理を願う私共は、恒久の世界平和と人類共栄のために貢献する人々に、特別の光と力を注いで下さるように切に祈らなければならぬものであります、

2、死者に対する追悼

 永遠の生命そのものである神を信じ、主キリストと共に天国への旅路を歩んで、地上の生涯を終えた諸死者に対しては、常仁敬虔の情をこめて彼らの永久の安息を祈るようしと、すべての信者に切実に訴え続ける母なる教会の声に快く耳を傾けなければなりません。世にあって人々は、内心の清静や内面の刷新をおろそかにし、ただ外面のみを飾り、表面的体裁をとりつくろうことに汲々とするものでありますが、キリストの信仰に真実に活きるものは、ただひたすらに、神のみ前に面目ある生涯を全うすることを、心掛けるものであります。それにしても聖パウロの申す如く、「良心に恥じる処はないにしても、それをもって直ちに神のみ前に義とされるわけではない」と心得、罪を赦され、救いの恵みを受けるには、あくまで神の御慈悲にすがらねばならぬ事を確信するものであります。この重大な信仰の精神に怠があり、キリストの十字架の奥義に忠実に活きることに、ためらう処多く、信仰上の試練に対し、最後まで雄々しく耐え忍ぶこと少なき故に、死後の魂の浄化、罪の償いを余儀なくされている人々を助けることが、死者の月をもうけて、諸聖人の通功に生き、万民の救済に寄与すべく、促しつづける教会の一貫した使命であります。主キリストの浄配であり、私共信者の母なる教会と心を一つにして、祈りと追善供養にいそしみながら、死者の月を過ごしたいものであります。

こころ、平成4112

回顧と反省 主任司祭 浜崎 渡

1、日米開戦以来50

 太平洋戦争とも大東亜戦争ともいわれ、第2次世界大戦の一翼を担った大きな戦争は、昭和161941)年128日未明に、ハワイの真珠湾に基地を置き、多くの軍事施設とともに、停泊中の艦隊に不意討ちを加えた日本の陸海空軍の攻撃によってはじまりました。戦闘の前に、宣戦布告を相手国に通達すれば、義と理にかなう戦争と認められるというわけにはまいりませんが、不法のきわみと申すべき戦いに、日本軍は突入したのであります。人命と艦船、および、施設に甚大な損害を蒙った米国は、「真珠湾を忘れるな」と、悲愴な叫びを合言葉に日本軍潰滅を決意したのであります。かつて日米戦争を避け、友好関係を保持すべきである、不幸にして戦争突入となれば、半年や1年は存分にあばれて見せよう、然しその先は戦い勝てぬと、先験的な名言を残して戦い散った山本五十六提督の警告通り、緒戦のはなばなしい戦果も、開戦半歳後の、ミッドウェイ冲の開戦以来、終わりを告げ、敗戦に次ぐ敗戦で日本は、陸海空3軍の将兵をはじめ戦闘に関係ある雇傭者、さては非戦闘員の国民多数を失ったあげく、とどめの原爆2発(広島、長崎)を浴びて、ようやく戦意を失いかけました。昭和201945)年815日、昭和天皇の英断により、終戦となりましたが、戦争をしかけた国も、戦乱の渦中にまきこまれた国も、戦勝国も敗戦国も、ともに多くの人命を失い、それぞれの国民生活の基盤も、条件もことごとく破壊されてしまいました。戦乱のあらしが鎮まり、平和の兆しがほのかに見えても、世界中の人々の精神的、物質的痛手と損失は空前絶後のものでありました。然しながら病めるものにとり、回復をこいねがう身になれば、「時」というものは、まごうかたなく「妙薬」であります。加えて武器を捨て、兵器を作らず、軍人を養わぬ立場をとると、徐々に経済力を蓄え、補償問題にせよ、他国支援の使命にせよ、それらを解決すること可能な状態に発展するものであります。にもかかわらず、日米開戦50周年を記念するブッシュ米国大統領が、「過去水に流し、世界各国と友好関係を結び、恒久の平和に貢献する道を求めるよう、ついては、目本の終戦を早め、無益な災害を拡大しないために投下した原爆の責任は、正当なものであり、日本国民に対ずる謝罪の意志はない」との演説が行われた途端に、許せぬ発言である、絶対に謝罪を要求する」との声が日本国内において高まっているようです。原爆による殺生力、物的破壊力はたしかに人々の想像を越えています上に、後遺症と言いましょうか、放射能による大地の汚染、人体に及ぼす悪影響は、その限度を測り知ることができないとさえいわれています。まことに迷惑干萬な原爆は、戦争をしかけた日本国の責任に対する賠償としては、これまた驚異的なものといわねばなりません。思うに、戦後46年経って、今更ら戦争責任、原爆投下責任云々と騒ぎたてても無意味だと申すものではありませんが、太平洋戦争に先立つ日支事変(実質的に中国侵略とすべきもの)における日本の責任は、一体どうなっているのでしょうか。中国のみならず、東南アジア、南方諸島に対する謝罪のなされたことは、未だに聞き及んでいません。米国へ原爆投下の謝罪を求めるならば、交戦国でもなかったソ連邦国(19911221解体)への被抑留者に対する謝罪と賠償を要求し、北方領上の返還をこそ早急に請求すべきものでしょう。悲しいかな、日本人だけの性格とは決して申しませんが、私共人間は、概して己が責任は棚に上げ、他人の責任はこれを厳しく追及する傾向が強いように思われます。殺人犯罪者が、懲役15年、無期懲役、さらには死刑を宣告されて、刑が重すぎる、もっと減刑されるはずだなど、殺された人の生命は生き返ることなく、遺族の悲しみと怒りは、生涯消えることがないであろうのに、自分の生命だけは1日でも、これを延ばしたいと願うのと同じ理屈に違いありません。

2、反省のうえに立つ願い

 この期に及んで私共は多くを言いますまい。人と人との間には、それぞれの人格を尊重し、相互の権利を認め合い、誠実な助け合いの精神にめざめ、共存共栄の永続を目指すべきであるとの信念に生きるように、国と国との間の、友好関係を深めて、経済的、文化的発展をほかり、恒久の平和への秩序を維持するように、注意を怠らず、内乱や近隣諸国への外交を用心深く取り締まる、有能な国家指導者の出現と、その奮起を強く希望するものであります。

こころ、平成4112

クリスマスと迎春のごあいさつ 主任司祭 浜崎 渡

 福江教会の信者皆様クリスマスおめでとうございます。あわせて、平成4年の新春を迎えられましたことを、心より慶賀申し上げます。

 旧年中、教会と私共司祭に対し、お寄せくださいました、数々のご奉仕とご厚意には、感謝いたします言の葉もみいだしませぬ。厚く御礼申し上げます。国の内外を問わず、昨年は例年にもまして、多事多難の1年でありました。喜びにつけ、悲しみにつけ、皆様は、常に教会と心を一つにして、あるいは喜び、あるいは苦境を乗り切るために、力の限りを尽くしてくださいました。感激のきわみです。

 本年は、まず福江教会再建以来、満30年、雨にもめげず、風にも負けず、しっかりとした信仰の歩みを続けてまいりました。本年は皆様の一致団結したご協力により、さらなる前進をはかりたく念願いたします。

 もう一つ喜ばしいことは、教会の機関紙である「こころ」が、第100号の発行となったことであります。皆様からたよりにされる機関紙として一層の進歩、発展をとげますよう、編集部局にも一層のご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願いいたします。皆様のご多幸を念じつつ、ごあいさつといたします。

こころ、平成511

新年のご挨拶 主任司祭 浜崎 渡

1、行く年をかえりみる

平成4年中に、日本の国内は言うに及ばず、国際情勢においても、いろんな出来事がありました。

先ず国内においては、交通事故による死者が依然として増加し、政治を委任された代議七たちが、贈収賄に明け暮れて、社会に躓きを与え、暴力追放の国民の声が、大きくなろうという矢先に、大臣まで務める人々が、その暴力団体や右翼団体と、暗の駆けきに懸命な配慮がくりかえされていたなど、国民不在の政治が暴露される事態となりました。平和日本、経済大国と自他ともに認める我が国の歴史に払拭されない汚点をとどめたのです。

「妻は病床に伏し、子は飢えに泣く」(梅甲雲梅)という切羽詰まった状態ではないにしても、飽食暖衣に日々を暮らす人々の多い中にも苦しい生活を余儀なくされている人は、消滅したわけではないのです。外見上、豊かな生活をしている家庭では、子供たちの登佼拒否問題、不良少年、不良少女らの犯罪など、明日の日本社会を混迷と不安におとしいれる材料には事欠かないありさまです。

一方、国外に眼を向けますと、アフリカのソマリア、スーダンなど、黒人圧迫の事件、宗教差別問題もさることながら、飢餓に苦しむ人々の群のおびただしさには、思わず眼をおおいたくなるではありませんか。仕事を求めて、東南アジアとくに中国人の日本侵入を試みる一種の難民の数も無視することは不可能です。金か欲しい、物資が必要だと叫び、原発により漏れた処の放射能対策にお手上げのロシアに対する日本の役割は一体何でありましょうか。南米にも、いくつもの国と民族が、日本の豊かな経済に羨望の眼を注いでいる現状は、これを無視してはならぬものと思います。

今や日本は、我が国内における政治の改革を真実と忍耐をもってなしとげ、公平と平等、秩序と平和の精神に満つる政策を展開せねばならぬ時を迎えています。併せて国際社会、わけても後進国の人々に医療、教育、経済の面にも能う限りの支援を続行すべきであります。「与えることは受けることよりまさっている」との主のみことばを服用し、これが実践に踏み切るようつとめたいものであります。

2、新しい年に何を願うか

「あなたたちは、先ず神の国とその義を求めなさい」 主キリストのみことばに、何はさておき耳を傾けるべきであります。神のみ旨が行われるよう、神のみ心に叶う思い、望み、ことば、行いをもって自分と自分の周囲にキリストの証人としての使命に、いそしまなければなりません。キリストの証人としての使命即ち福音宣教の働きは(単独行為よりも信者の団体としての活動が望ましい)年と共に、活性化されねばならぬものがありますが、俗化の波高く、神の存在を無視する傾向のひろがり行く現状に鑑み、一人 一人の信者が、キリストの使徒としての自覚をもって、地の塩、世の光りとなることが肝要であること、多言を要しません。

[新しき御世の平和の防人は。裂かれて町ゆ、群がり出でん] 如己堂主人  永井 隆


  
   
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